
サルサに限らずダンスって体を動かすものですから、スポーツと共通する部分が多々あると思います。
実際のところ、サルサの中にも勝敗を争うコンペティションがあります。
そういう意味ではサルサにもスポーツ的な要素が含まれていると言えますね。
ただ、一般的に親しまれ踊られているサルサには勝敗はありません。
だから、それはどちらかと言うと(体を動かす)娯楽、レクリエーション、コミュニケーションという言葉の方が合っているかも知れません。
ただ、そうは言ってもサルサはダンスですから、アート、芸術の側面も持ち合わせています。
ジャンルとして定義するには一つに収まらないのかも知れません。
そういう意味でね、昔から思っていることですが、サルサはプロレスと似ているなと思うんですよ。
プロレスには確かにスポーツではあるのですが、エンターテインメント的な要素も含まれています。
ただ選手や団体によってプロレスに対する考え方は様々です。
例えば、お客を魅了しつつも勝敗にこだわる選手や団体がいる一方、かなりエンターテインメント色が濃い選手や団体も存在します。
どうして他のスポーツと違ってプロレスはそうなるのでしょうか?
それはやはり、プロレスというジャンルが特殊であり、一つの定義に収まらないからだと思います。
見る側、やる側の”嗜好”によって、プロレスはスポーツにもなり、エンターテインメント(娯楽)にもなり、アートにもなるのです。
ちなみに、プロレスには”名勝負”と呼び声の高い、後に語り草になる試合が時に生まれます。
こういった試合は、対戦相手同士が対抗意識やライバル意識を持って剥き出しに闘うからこそ生まれるものだと思っています。
単に媚を売る演技だとしたら、それを観るお客はバカではありませんから、きっと見抜かれるでしょう。
プロレスにおいての熱い闘いというのは、こうした選手の熱い闘志によってお客に伝わるのです。
純粋な格闘スポーツだと感情を剥き出しにすると裏目に出ることが多いですが、プロレスにおいては、そこが違いますね。
さて、プロレスの話がちょっと長くなってしまいましたが、サルサにだって”名勝負”ならぬ”名ダンス”が生まれることがあります。
それはどういうダンスかと言うと、まずダンサー同士が踊りを心の底から楽しんでいるものです。
プロレスでは闘志剥き出しが名勝負の条件ですが、サルサの場合は闘いではありません。
そこは闘志の代わりに”愛”ですかね(笑)
それはサルサ愛であり、踊る相手をリスペクトする愛でもあります。
サルサはコンペティションやパフォーマンスは別として、基本的に人に踊りを見せるダンスではありません。
でも、サルサの楽しさを全身で表すダンサーには思わず目を奪われてしまいます。
それは、決してカッコつけの「見てくれ」ではなく、ダンサーの純粋な心の喜びが見る者に伝わるからです。
正に、プロレスで言う”闘志”でしょう?
勿論、ある程度の技術も必須です。
最も基本であるベーシックステップがお互いにきちんと踏めていなければいけません。
あまりにレベルに差があると、上手い方は相手のミスをカバーしてあげられますが、それが名ダンスになるかと言うと、そうは簡単には
いかないでしょう。
プロレスも実力者同士がお互いを認め合って闘わなければ、いい勝負が生まれないのと一緒です。
ちなみにサルサの技術というのは技の習得だけに留まらず、表現力も含まれています。
例えば、かかっている曲のイメージに合わせた表現を瞬時にできているかといったことです。
まあ、ここら辺になると、相当な練習や場数を踏む必要があるでしょうが。
プロレスで言うと、技に入るプロセス、技の完成度や美しさ、そして自分の個性を表現できているかというところですかね。
どちらもアートと言われる所以です。
そのような技術をダンスの中で活かすには、ある程度の体力、身体能力も必要です。
つまり、ある程度アスリート的な部分もないと、自分の体をコントロールすることができません。
ここは勿論プロレスラーのようなバリバリなアスリートになる必要は必ずしもありませんが。
と、まあサルサとプロレスの共通点を書いてきましたが、実は似ているところがまだあります(まだ書くんかい!)
それはね、サルサもプロレスと一緒で、ダンサーやダンサーが踊っている(或いは所属している)コミュニティーや教室によってサルサに対する考え方は様々だということです。
一つの定義に収まらないサルサですから、どの考え方にも間違いはありません。
自分の”嗜好”にそって自分のやりたいサルサをやればいいと思います。
もしSALDRAに興味があれば、このホームページや他のブログ記事をよく読んでいただき、自分の”嗜好”に合うかどうかを確認してみて下さいね!
「自分にもできるかな?」という不安を、
「これなら踊れる!」という自信に変える80分。





